MALANOCHEWritten and Directed by GUS VAN SANT

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ガス・ヴァン・サント  インタビュー

ウォルト・カーティスのリアルなストリート・ライフを映画にしたかった。


Q: この初長編を作るに至った経緯を教えてください。

A: ポートランドの高校を出た後、(美大の)ロード・アイランド・スクール・オブ・デザインに入り、卒業後はLAで6年働いた。でも夏の間はポートランドに帰り、NYで少し働いた後、83年に初長編となる『マラノーチェ』を作るために戻った。
70年代に『Alice in Hollywood』をLAで作ったけど、自分の脚本で、ハリウッドで映画の役を手に入れようとする女の物語だったが、45分という微妙な長さだった。
ポートランドが舞台の『Property』で音声をやった際、出演していたウォルト・カーティスと知り合い、監督のペニー・アレンがくれた『マラノーチェ』の本を合間に読んだ。
しばらくして彼の本を思い出し、人が書いたものをやろうと思いついた。それから資金のためにNYの広告業界で何年か働き、ポートランドに戻ったのが83年で、完成が85年。映画祭で上映されて(評判を呼び)、数年後に『ドラッグストア・カウボーイ』を作るサンプルになった。


Q: ウォルトは脚本に関わったんですか?

A: いや、あくまでアドバイザーで、日記のような自伝小説を損なわずに再現するガイドでいてくれた。変更にも寛容で、資料収集家の彼は、ずっと同じアパートに住んでいて、昔の文章や、当時のロック・ショウのポスターや記念品がたくさんあった。今でも『マラノーチェ』の記事や、僕が散逸してしまったものもある。世代はビート詩人の下だけど、サンフランシスコにも住んで彼らと会っていて、オレゴンのビート詩人だ。彼のリアルなストリート・ライフを映画にしたかった。彼が働いたNW6丁目の食料品店、デミートリズはまだある。邪魔になるから撮影は断られたけど、数軒先に食糧品店を作った。ギリシア系の経営者で、友達のジョージが後にサテリコンというバーにして、そこはポートランドを代表するパンク・クラブとなる。水曜にポエトリー・ナイトが開かれ、後のサテリコンでウォルトは司会を務める。70年代半ばからそんなシーンは続き、当時の変わり者が残って、僕はシーンを覗きにきたよそ者だった。ゲアリー・インディアナに言わせれば、「ストリート監督と言われても、ガス・ヴァン・サントはストリートのウォルトを覗きにきた郊外のガキにすぎない」。僕も詩を読み、シーンを理解しようとしたけど、目的は本の再現だった。みんな疑いの目で見ていたけど、うまくいった途端、ウォルトの映画ってことで、詩人たちも警戒を解いてくれた。


Q: モノクロの理由は?

A: 予算の都合で、カラーで撮影して、部屋の色が嫌でも塗り直す余裕はなかった。それにモノクロでいい画を撮ることに慣れてたし。タイトルにも合う気がした。北部の白人と南の褐色のメキシコ系の男たちという黒と白の物語だ。6丁目(界隈)とか、オレゴンには彼ら労働者の居場所があった。今もそうで、オープンな違法性が存在する。危険も抑圧も強制捜査もあるけど、彼らの存在の逞しさが白と黒だった。




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