我々が恋に落ちるしかない、ユーモアと繊細さ
ステファン・ドローム「カイエ・デュ・シネマ」10月号
(2006年10月11日、フランス公開時)
(...)20年目ぶりに立ち現れた、ガス・ヴァン・サントによる美しい映画だ。それは、ウォルト・カーティスの自伝的小説をベースに、ウォルトの手をすり抜ける、16歳のメキシコの不法滞在者ジョニーへの情熱と、親友ロベルトへの少しの愛情の物語である。監督は、舞台のポートランドを知り尽くすだけでなく、我々が恋に落ちるしかない、ユーモアと繊細さを持ち込む。その後の作品とも、長回しが特徴的な最近の3作とも違う、短いショットの連続で急展開する物語にできるだけ密着したい欲求を感じる。ギター・コードで隔てられた、途切れがちな16ミリの断片は、小説のストレートさを伝える。
(...)この作品の最も美しい部分は、完全にウォルトを飲み込む。『マイ・プライベート・アイダホ』のテーマと同じ母親から生まれたようだ。それでもウォルトはジョニーと寝たいわけで、お金まで提示して、“ホモ”と蔑まれる。だが何と言われようが、ウォルトは2人に夢中で、抱く代わりに、彼らの面倒をみる。2人に寝床を与え、服をやり、ドライヴにまで連れ出す。
(...)『マラノーチェ』はユニークで官能的だ。ポートランドの夜は、煙のニオイと動物的な幻夢と近すぎる電車の音の中で愛撫される肉体で構成される。この電車は、アメリカを北上する若者たちを運び、いつでも送り返すと脅迫するようだ。混ざる音、言葉、音楽は、頭を覚醒するように続く。画面の外から聞こえるティム(・ストリーター)の声は、ウォルトのリズムのある言葉を囁く。「僕の心は、彼を見る度にタンタタンと躍る.」スペイン語を話さない役者が演じるジョニーの曖昧な台詞は、肉体と声の間
に心地よい距離を保ち、遠く離れた外国人が話すようだが、彼はたいてい口をつぐんでいる。鎮静剤のように安らぎを与えてくれる音楽は、つらい瞬間を緩和するように流れる。光線と行き場のない反響で構成される主要部分は、覚醒した夢の感覚のために、リアルなストリート・ポエトリーであることを放棄する...。