Water
 News Theater Introduction Story Cast and Staff Production Note Interview Trailer


Water-image


 
滝口幸広

凌雲は一瞬一瞬を愉しんでいる、すごく強い男

――凌雲役として出演が決まったときは、どのような実感を?
「オーディションのときは、あまり感触がなくて、これはダメかなって、ちょっと落ち込んでたんですけど、数日後、役をいただいたってことを初めて聞いて、撮影に入る1ヶ月前ぐらいになって、主演だよって言われて……そこで初めてプレッシャーを感じて(笑)、原作を何回も何回も読み返したんです。凌雲って、けっこう複雑な人間じゃないですか、今考えてもすごく難しい役だと思うけれど、あの頃はまだ高校を卒業したばかりで、小さいときから水泳をやってたというのもあるんで、自分の感覚とすごい近いところにあって、言われたことを、そのときの感情のまま飛び込んで演ることができましたね」

――では、撮影は順調に?
「初日は、頭の中が真っ白になっちゃって、台本は当然、憶えてるんですけど、憶えていたはずのところが、ふと抜けちゃって、パニック状態になってしまったんです。何やってるのか自分が良く判らなくなっちゃう瞬間もあって、正直、すごくヘコんでたんですけど、(母親役の)伊藤かずえさんがフォローしてくれて、演りやすいように僕を引っ張ってくれたんで、伊藤さんにはすごくお世話になりました」

――そういうとき、吉田修一監督は?
「監督も不安があったと思うんですよ、初日は。でも2日目からは、こう撮りたいからこうしてくれ、ここをどうしても映したいんだよって言ってくれて、監督の言うことを聞いていれば絶対なんだって気持ちが、僕の中で生まれました。3日目ぐらいからは自分の中で凌雲というものが完璧に判ってて、こうするんだろうな、こういう反応に出るんだろうなっていうのが、作らなくても出てくるようになりましたね。もともと監督も作家さんなんで、自分の中の理想の画があって、このシーンはどうしても撮りたいって、細かい演出が多かったです。やっぱり芸術家なんだなとすごく感じましたね」

――演じるにあたって、凌雲をどのような人物だと考えましたか?
「僕、もうちょっと暗い人間だと思ってたんですよ。圭一郎が東京の大学に行く、でも自分は地元を離れられない。その中でも、虚勢を張って(水泳)チームを引っ張っていかないといけない。思いつめて、学校では明るいふりをしているけれど、弱い人間なんだろうなって思ってたんですね。でも、実際に監督と話をして、あ、そうじゃないんだなって。暗くなってすべてを放り投げたくなっちゃうような人間ではなくて、お兄さんの死を乗り越えてすごく強くなった人間で、これからの現実にも眼を背けない。その強さから出てくる明るさも、嘘をついているものではなくて、一瞬一瞬をすごく愉しんでいる人間なんだなと考えが変わりました」

――凌雲の圭一郎に対するあの“行動”をどう理解しましたか?
「人間として、凌雲は熱い奴だと思うんですよ。周りの面倒をみる、いい奴なんですけど、ふと独りになった瞬間に、ちょっと弱さを見せちゃう。だからあれは、意味が判らない行動だと思うんです、凌雲にとっては。何となくよく判らないけど、しちゃった、みたいな(笑)」

――最後に、この映画をご覧になった方にメッセージを。
「僕の記念すべき主演としての第1作ということもあり、凌雲としてもそうだし、滝口幸広という役者の思いとしてもそうですし、作品としても監督の吉田さんの思いがすごく詰められた映画だと思うんで、せひ愉しんで観てください!」





 
川口覚

圭一郎は東京に行って新しい自分を発見したかった

――圭一郎役として出演が決まったときは、どのような実感を?
「僕ね、落ちたと思ったんですよ、オーディション受けたとき。だから、ちょっとびっくりしましたね。圭一郎って役は、凌雲のことを好きなのかなって好意を持っている男の子ってことで、すごく演り甲斐がありました。難しいと思いましたけど、できる限り、やれる限り、演ってやろうって。光栄でしたし、(監督の)吉田(修一)さんとの出逢い、(撮影監督の)ヨリック(・ル・ソー)との出逢いも新鮮でしたし。舞台になってる高校(長崎南高校)は山の頂上にあるんですけど、そこまで登ってくときに圭一郎と照らしあわせて、毎日ここを登っていったのかなととか、ここからこういう景色を見てたんだなとか、芝居について考えることがものすごく愉しかったですね」

――圭一郎を演じるにあたって、心がけたことは?
「男の子を可愛いとか、こいつ好きだなって思う感情って、誰にもあると思うんですよ、後輩や弟に対して。そこで凌雲を、男として好きなのか、可愛いだけなのかと葛藤している部分を大事にしていこうって。その迷っている部分をものすごく目指していこうと思ったので、ちょっとした表情も計算しないと難しかったし。でも、僕とはまったく別人として、完全にゼロからもうひとりの人物を創りあげていったという感じだったので、そんなに葛藤はなくて。だからこそ愉しかったし、あまりにも圭一郎という人物が新鮮だったんですよね」

――撮影中、凌雲役の滝口幸広くんとはどのように接しましたか?
「実際には僕より3歳年下なんですよ、滝口は。だから撮影中は、弟だと思って接してました。弟のようにずっと見ていて、その関係性がちょっとでも芝居に出ればいいなと。実は、凌雲が圭一郎にキスをするっていうのは、台本にはなかったんです。それなのに、僕には内緒で本番でキスされて、リアルにびっくりしちゃったんですよ。だから映像で映ってるのは、僕のリアルな表情なんです(笑)」

――故郷、長崎から旅立つ者としての圭一郎の心境を、どのように理解しましたか?
「高校生で、この町にいて、葛藤して、大学というチャンスがあったとき、圭一郎の将来が広がったと思うんですよね。そのときに凌雲とか、藤森のことは考えてなかったと思うんですよ。完全に自分独りの世界に入ってた。圭一郎は、自分の知らない世界に行って、新しい自分を発見したかったんだろうなって」

――そんな訣別の意を込めて、ラストで校舎を振り返ると?
「この映画の中で、あそこが一番、難しかったかもしれないですね。簡単に言えば、気持ちがすっきりしたんでしょうけど、それだけじゃないだろう、圭一郎はっていうのがすごく僕の中であって。だから夕陽が綺麗だなって感覚で振り返るのか、凌雲来てないのかなって感覚で振り返るのか、どっちかなって思ったんですけど、僕はどっちも入れてやろうと。夕陽が綺麗で振り返るのを口実に、周りの友達にバレないように、凌雲は来てないのかなっていう、圭一郎なりのニュアンスも入れようって、すごく考えたんですよ」

――最後に、この映画をご覧になった方にメッセージを。
「すごく不思議な映画だし、その不思議な感覚をすごく愉しんでもらいたいですね。そのまま流れに乗っかって、その雰囲気に包まれて観てください。多分、観終わった後も不思議な気分で、すっきりと気持ちいいものになると思います」





 
小出早織

藤森は私の青春の一部、ちょっと背伸びをして演じました

――藤森役として出演が決まったときは、どのような実感を?
「オーディションでプロットを読んだときから、とても魅かれていたので、出演が決定したときは感激しました」

――藤森を演じるにあたって、どのような役作りを?
「映像になると新たな世界が生まれると思ったので、あえて原作は読まずに、台本から受けとったイメージを大切にして撮影に臨みました。私の考える藤森は、プライドが高く、媚びない女性。演じた当時、私は高校1年生だったので、ちょっと背伸びをしていました」

――撮影現場での吉田修一監督の印象は?
「柔らかな眼差しを持った方だなと思いました。現場では“小出さんの思う藤森を演じてください”と、任せていただきました」

――藤森は、凌雲と圭一郎の関係をどのように見ていたのでしょう?
「ふたりの間には、私が入ることのできない繋がりがあると彼女は感じ、いつも悔しく思っていたと思います。自分が圭一郎の彼女であるからこそ」

――では、凌雲から「圭一郎に置いてきぼりにされる」と言われたときは?
「自分で判っていることを他人に言われて余計に腹が立つことってあると思うのですが、まさにそれです」

――凌雲と圭一郎の突然のキスシーン、もし小出さんが藤森なら、その場でどのような態度を取ると思いますか?
「きっと、しばらく放心しています(笑)。でもその後、3人の微妙な関係をはっきりとさせたいからと、話しあいを提案しそうですね。怒りたくも泣きたくも、逃げたくもありません。凌雲と圭一郎の気持ちを訊きたいです」

――撮影の思い出を訊かせてください。
「長崎には撮影で初めて訪れたのですが、のんびりとした時の流れを感じました。路面電車に乗ったとき、特に。坂があんなにたくさんある地形だとは知らなかったので、実際、眼にして驚きました。撮影監督のヨリック(・ル・ソー)さんからは、“日本の女の子はとても綺麗な髪の毛をしているのに、どうしてギザギザにしている(シャギーを入れること)の?もったいない”と言われて、妙に納得したことを憶えています」

――完成した映画を観た感想は?
「プールの水の音、凌雲に蹴られて伝わってきたバスの振動、圭一郎に追いつめられた階段の暗さ、撮影中のディテールがありありと甦ってきて、じっと見入ってしまいました。今、あらためて観ると、とても照れくさいですね。撮影の中で、10歳代特有の閉塞感と切なさを藤森と共有しました。私の青春の一部になっています」

――最後に、この映画をご覧になった方にメッセージを。
「凌雲、圭一郎、藤森、3人の思いが絡みあう『Water』は、誰の視点で追って観ても、興味深く、記憶に残る作品だと思います」





 
吉田修一

長崎の田舎町の高校生も、どこかで世界と繋がっている

――自作の小説を初監督するにあたっての意気込みはどのようなものだったのでしょう?
「意気込みというよりも、いろんな偶然が重なって、せっかくの機会なのでチャレンジさせてもらいました。周りのスタッフの方に背中を押してもらって、気がつくと前に出てたみたいな感じで。とにかく(映画監督としては)素人ですから、何から何まで初めてで、手探り状態から始めたので。やっぱり職人さんが集まって作るのが映画だと思ってますし、ひとりでできるものでもないし。こう書きたいと思って小説は書けますけど、映画はこうしたいと思ってできるものではないんですよね。そのうえ、ちゃんとした準備もできずに(長崎に)行ってしまって、一週間で撮って、その後、編集したというのが実情なんです」

――原作の舞台もそうなのですが、長崎での撮影にはやはりこだわりが?
「水泳部の話もそうですが、“長崎の町”自体を撮ってみたいというのがあったんです。それで撮るのであれば長崎でというのが第一希望でした」

――原作からエッセンスを抽出した、大胆な脚色が施された映画版『Water』になりましたね?
「脚本を書いたときには、まだ原作から抜粋してるような感じだったんですが、実際に現場に行って、人が動いているのを見て、かなり大幅に書き直したんです、脚本自体を。良くいうと、原作のときに書きこぼしたものを、映画としてやれたかなという気持ちが、今となってはあります。ですから小説とこの短編映画ではかなりテイストも違って、原作を読まれた方は少し混乱されるかもしれません」

――原作では凌雲の一人称だったのが、映画では水泳部員のひとり、圭一郎の比重がかなり大きくなった印象を受けますが?
「そこですね、一番脚本が変わったのは。(圭一郎役の)川口(覚)くんと現場で実際に逢って、喋ってみて、小説のときに圭一郎というキャラクターについて書きこぼしていたところがいろいろと浮かんできたんです。それを長めに撮っちゃったんですよ。それで編集のときに繋いでみると、冒頭から川口くん(の登場シーン)になっていて」

――同様に、凌雲の藤森に対する態度の違いも現場で?
「やはり実際に(凌雲役の)滝口(幸広)くんと逢って、学生服を着てもらったりすると、女の子に対して照れたりするのがあまり似あわないような気がしたんです。もちろん個人的な感想ですが。わりと王子様キャラで(笑)、僕が書いた朴訥なあの主人公とはちょっと違うなと、現場で初めて気づいたんですよ」

――では、凌雲役の滝口幸広くん、圭一郎役の川口覚くん、このふたりのキャスティングの決め手となったのは?
「滝口くんに関しては、赤が似あう人って、特に日本人の男性でそんなにいないと思うんです。そこに尽きますね。自分の魅力にまだ気づいていない……気づいてはいるんでしょうけど、それをうまく扱えてないところがあって、それも才能だし、魅力だなと思います。川口くんに関しては、青い炎みたいな感じなんですね。決して控え目でもないし、冷たいわけでもないんですけど。2人に関しては、真逆なタイプかもしれない。そういうバランスは考えました。かなりの人数の方に来てもらってオーディションをやらせてもらったんですが、今、考えても、一番いい2人を選べたと思っています」

――原作にも「白書」が出てきて、映画にはさらに『オルフェ』が引用されていて、コクトーに対するこだわりを感じましたが?
「こだわってなくはないんですが、長崎って九州の最西端の田舎町ではあるんですよ。実際にあそこで暮らしていて、いろんなことを考えてて、でも小説のときもそうだったんですが、どこかで世界と繋がってはいるんですよね。今でこそ、インターネットとかありますけど、僕が過ごした頃にはもちろんそういうのもなかったし、そうなると映画を観たり、雑誌を読んだりと、間違いなくあの子たち……僕も含めて、それぞれ何かしら田舎町に住んでいながら世界に繋がるキーワードを持っていて。その象徴のひとつとして、圭一郎にとってジャン・コクトーという名前を原作のときに出して、映画でもそのまま残したんです。『オルフェ』に関しては、脚本を大幅に現場で変えたときに、もうちょっと川口くんの映像が欲しいなと思って、何をしてもらおうかなと考えたときに、暗い部屋で白黒の映画を観ていて、果物を食べてというシーンを撮ったんです」

――結果、原作に比して“同性愛色”が強まった印象を受けたのですが、それは意図されたものだったのですか?
「最初に脚本を書いたときはまったく意図してなくて、でも男の子2人で、水泳部で、そこは仕方ないかというか、原作を書いたときもそれは間違いないとは思っていたんですけど(笑)、今回、短編映画になって、映像でやってしまうと、自分が思っているより以上に強すぎたかなと、今になって反省しています。ただ17〜18歳なので、そんなにきっちりと(性的嗜好が確立)してない場合もあると思うので、その何か揺らいでいる感じは間違いなくあって、その圭一郎の揺らぎが多少、凌雲に伝わるかってところが撮れると一番、良かったんですけど。ちょっとやりすぎたかもしれません(笑)」





 
ヨリック・ル・ソー

私は『Water』を日本人になったつもりで撮影した

――どのような経緯で『WATER』に参加することになったのですか?
「フランソワ・オゾン監督の短編『サマードレス』を観た製作会社のワイズポリシーから連絡をいただきました。10年前、しかも映画学校を卒業したばかりの頃に参加した作品が、時を経てこのように巡り巡ってきたことに大変驚きました。それから原作の短編小説を読んだのですが、とても気に入り、これをどうやって30分の作品に映画化するのにとても興味を抱きました」

――長崎での撮影はいかがでしたか?
「すでに東京には行ったことがあったのですが、より伝統的な生活を営んでいる長崎にとても強い印象を受けました。それに日本人のスタッフと一緒に働くこともとてもよい体験でした」

――日本人監督とのコラボレーションや、日本の若い俳優たちを撮影するのはどのような体験になりましたか?
「吉田(修一)監督は自身の小説のエクリチュール(文体)をいかにして、できるだけ近いかたちで映像に置き換えるかをつねに探し求めていて、とても満足の行くコラボレーションでした。そして 私は、まだ経験の浅い若い俳優たちの肌の質感を映像に収めようと務めました。 母親役の伊藤かずえさんは素晴らしい集中力を持っている女優さんですね」

――日本映画への固定観念はありましたか?また、『Water』に盛り込もうと試みたのはどのようなものだったのでしょう?
「古い日本の映画、特にその美的感覚が大好きで、ある種の固定観念は持っていました。実はこの作品には、私は日本人になったつもりで撮影して、それによって何かいつもとは違ったものを盛り込みたいと思ったのですが、最終的には自分の持つヨーロッパ的なものと日本的なものがうまく混ざりあわさった形式になったと思います。また映画は国籍に関係なく、どんな監督と仕事をすることも同じであり、そういった意味で、映画とは普遍的でユニヴァーサルなものだと改めて認識しました」





 
エリック・ヌヴー

私は『Water』で、自由で新しい音楽領域を作り出した

――『Water』にどのような音楽的なエッセンスを盛り込もうと意図されたのですか?
「『Water』を観たとき、その扱われているテーマ、早すぎる死を迎えた人の不在、性的アイデンティティ、セクシャリティー探求の曖昧さに、強い印象を受けました。これらのテーマの表現において最も興味深いのは、現在の日本において、そして映画でしばしば見られる、スタイリッシュ化され、幻想化された日本からほど遠い、慎み深く現実的な社会の枠組みの中において、深く定着しているということです。それはフランス……コクトーやオゾンへの目配せによって強調された独自のトーンを作品に与えています。すぐさま、このテーマがフランス、ヨーロッパ、そしてアメリカであったとしても、ただしハリウッド以外とは言えますが、それらで扱われたとしても、うまく機能する音楽を作りたいと思いました。とりわけ、私は編集において作り出されるダイナミズムが大好きなので、ジム・オルークに代表される反復的な音楽の原則を使いました。先行するものの喋りすぎない音楽、シークエンスの中で振動を作り出し、維持するたったひとつのパーカッションに還元できるような音楽が、私は大好きです」

――『Water』はあなたのこれまでの日本映画に対する固定概念を覆したというわけですか?
「これまで日本映画は何本か観たことがありますが、それらはいわゆるクラッシックな巨匠の作品です。最も現代的な日本映画について、私はほとんど知りません。ですから、このプロジェクトにはかなり無邪気に辿り着くことができました。(撮影監督)ヨリック・ル・ソーの映像は大好きで、すでにフランソワ・オゾン監督の初期の2作品(『海をみる』『ホームドラマ』)で彼の映像に音楽をつけたことがあります。 私は仕事をするとき、その映像の触感と作品の音を吸収します。音と音楽の間にある補完性を探るのが好きなので、とても力強い直接的な音を使って作曲しています。『Water』の映像と音はとても特別なものです。光、ほとんどすべてのシーンで聴こえてくる虫の声、そしてもちろん私の音の探求に大いなる方向づけをしてくれた水の存在。私はこの音楽が、流れ広がっていく液体、満ち潮に比較することができると思います。そうして、反復的な規則と音響的な重なりにおいて機能する音楽を求めました。ちょうど、人々の影がプールの底に映し出す綾のような……」

――これまでの作品との差異は感じられましたか?
「フランス国外の仕事をすることには、いつもとても興奮させられます。なぜなら、そこにとても力強い自由な刺激を見い出すことができるからです。フランスで仕事を重ねると、企画を比較するだけに終わり、古い友人たちのようにすでに知っている、もしくは山の中で“すれ違う”だけの印象を持つ演技者にしかならないと思います。『Water』のような作品の仕事をすることは、私自身に違った方向に進んでみたい欲求を呼び起こします。ちょうど、まったく知らない外国に旅立つときに感じるように、たくさん歩き回り、まったく知らないうちに危険な地域に入り込んでしまったり、人々と話し、行き当たりばったりの夜も! 音楽についても同様で、『Water』の仕事をしながら、これまでとはまったく思いがけない考えが浮かびました。今まで決して使ったことのなかった、メロディカのような楽器を使ったのです……これは私にとって相対的な基準を失う、つまり芸術的にまったく自由な新しい領域を作り出したという逸話でもあり、とても興奮させられました」