Water
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プロデューサー  沖田 敦 (ワイズポリシー)


2002年、当時まだ3月にロサンジェルスで開催されていたアメリカン・フィルム・マーケット(AFM)へ赴くにあたり、僕は、往復の飛行機内で読もうと、「最後の息子」を携えていた。帯に記されていた山田詠美さんの推薦文に惹かれて、たまたま渋谷の書店で買い求めたこの本が、直後のロスでの仕事を大きく乱されることになろうとは、この時はもちろん知る由もなかった。

元来、僕の読書はゆっくりである。かなり集中して本と向き合わないことには、すぐに雑念が脳裏を過り、結果として字面だけを目で追っているという状況に陥りやすい。どんなに軽く読みやすい本でも、数日に分けて読み進めていく質なのだ。

しかしこのときばかりは違っていた。行きの機中で表題作の「最後の息子」を読み終え、チェックインしたホテルのベッドの上で、その日のうちに一気に残りの2編についても読み切ってしまった。もちろんこの本の最後に収録されているのは「Water」だ。その、最後のセンテンスを読み終えると、僕は何とも云いがたい感傷的な気分になってしまい、以降の仕事に身が入らなくなってしまった。試写会場のスクリーンを眺めていても、商談相手とミーティングをしていても、心の中の大半は「Water」に奪われてしまっている。文字通り、寝ても覚めても「Water」、だった。

東京に戻ってからも、そのインパクトは決して薄れることはなく、むしろ日に日に増幅していった。

そしてある日、僕は遂に、一世一代の暴挙に出る。吉田氏本人に、「Water」の映画化を申し出たのだ。

当時の僕は、この小説の舞台をフランスに置き換え、フランス人監督による映画化を希望していた。その頃、ワイズポリシーはシネマパリジャンという社名で、フランス映画を中心とした事業展開をしていた。したがって、日本の映画界よりもフランス映画界の方にプロダクションのコネクションがあり、アクションを起こしやすかったための着想だった。多分、吉田氏もその点に興味を持ってくれたのだろう。幾度かのメールのやり取りの後、翌月には吉田氏と直接会うまでに漕ぎ着けた。

僕たちは青山五丁目交差点側の某コーヒーショップで待ち合わせをした。吉田氏は文藝春秋の担当編集者を伴って姿を現した。紺のポロシャツにジーンズというカジュアルなスタイルだったと思う。繊細で柔らかな物腰で大人しいひと、というのが僕の第一印象だった。

それからは4ヶ月に一回くらいの頻度で、割と緩いペースで打ち合わせを重ねていたが、実際にはあまり大きな進展は見られなかった。気がつけば、すでに二年の月日が経過していた。並行して僕は原作の仏語訳を片手に、数人のフランス人監督との交渉を続けていたのたが、1人をのぞいて具体的な話にまでは至らなかった。中でも興味を抱いてくれた某監督は、しばらくこの企画を預からせて欲しいとの希望だったのだが、不確定な要素を孕んでいるのであれば、他の可能性に欠けた方が得策だろうとの判断でこの線も断ち切った。

その事を吉田氏に報告しようと、何度目かのミーティングを設けた際に、彼から意外な提案を受けた。それが吉田氏自身による監督だったのだ。僕は直感的に面白いかも、と思った。彼の小説を読んでいると、多分に映画的な描写だなぁと思わされる事がある。プールに放った色とりどりのライターの描写だとか、ビデオカメラに記録した日々の記憶を小説の最後にフィードバックさせる手法だとか……。

よし、吉田氏本人による映画化で行こう!

そう決めてはみたものの、経験値のない製作者と監督ではいかんとも心許ない。ならば取り敢えず習作の様な形で短編を手掛けてからでも遅くないだろう、との発想から出来たのが本短編『Water』である。

それからクランクインまでは怒濤のような慌ただしさだった。当初は吉田氏と僕、そして文藝春秋の担当編集者、三人で長崎入りし、地元の高校生を適当にキャスティングして、家庭用のビデオカメラで撮影しようという、お気楽なプランで望むつもりだった。しかしこの企画を知った僕の知人がそれではあまりにも無謀すぎると、製作会社のセップさんにただ同然の協力体制で参画してもらい、わずか二ヶ月弱の間に、現場のスタッフとキャストを招集しくれたのだった。

僕は僕で、ワイズポリシー・パリの田中裕子と連絡を取り合いながら、ヨリック・ル・ソー氏に撮影を依頼。彼もほとんどノーギャラ、飛行機もエコノミーでの来日など劣悪な条件を快諾してくれたのだった。

そして2004年9月、クランクイン。
今思い返しても、本当に幸運だったと思う。習作のつもりが、一流のスタッフに囲まれて、想像していた以上の作品に仕上がった。しかも劇場公開という、映画製作者にとって最大級のプレゼントまで用意されていたなんて、本当にラッキーというしかない。ここまで導いてくれた多くの人々に、感謝、感謝である。


PROFILE

1960年生まれ。株式会社ワイズポリシー代表取締役。日活、アルシネテランなどを経て、97年にワイズポリシー(旧社名シネマパリジャン)を、妻の山岸留奈(専務)とともに立ち上げる。おもな配給作品に、『なまいきシャルロット』(85/クロード・ミレール)『髪結いの亭主』(90/パトリス・ルコント)『パリ空港の人々』(93/フィリップ・リオレ)『ドライクリーニング』(97/アンヌ・フォンテーヌ)『橋の上の娘』(99/パトリス・ルコント)『ディナーラッシュ』(01/ボブ・ジラルディ)『ブロークバック・マウンテン』(05/アン・リー)など多数。製作参加作品に、『Bridget』(02/アモス・コレック)『歓楽通り』(02/パトリス・ルコント)『列車に乗った男』(02/パトリス・ルコント)など。05年に本作『Water』(吉田修一)を初プロデュースした。